【会山行】
雪洞構築 北ア・五竜岳
山行日 平成26年3月21日(金)~23日(日) 2泊3日
参加者 S本(L)、だーやま(食)、車掌(記・会)
行程 21日
車掌家3:30-だーやま家4:00-高尾山IC -安曇野IC
白馬五竜とおみスキー場駐車場7:40×10:04-ゴンドラ下車10:12
リフト10:35-小遠見山12:47 雪洞完成15:30
22日
起床6:00-出発8:50-白馬五竜とおみスキー場駐車場10:40
古くは「御領山(ごりょうざん)」と呼ばれ、武田家の支配下にあった戦国時代にはこの峰に現れる雪形が武田家の家紋である武田菱に似ている事から「御菱岳(ごりょうだけ)」と呼ばれるようになりました。
元禄年間には「後立山」と書いて「ごりゅうざん」と読んだそうです。現在の山名の「五竜岳」と呼ばれるようになったのは明治41年からです。
21~23日の計画で五竜岳へ行ってきた。21日は西遠見山付近で雪洞を構築、22日五竜岳アタック23日下山と言う計画だった。今回は自分を含め経験の浅い若手3人のパーティーだ。相模原を4時頃出発し五竜とおみスキー場へ向かう。安曇野ICを降りても天気はよく雪もない状態だったがこれから向かう白馬方面の山々は雲に隠れている。大町を越えた辺りから雪が降り始めた。しかも結構いい降りだ。7時40分頃スキー場に到着するもテレキャビンおよびアルプス平ゲレンデのリフトは大雪の影響で運転開始が遅れるとのことだった。テレキャビンの乗り場には先週五竜岳直下で男性が滑落し現在も発見されていない立教大の捜索隊が来ており情報提供の要請を受けた。一気に気持ちが引き締まった。結局テレキャビンが動き出したのが10時前で稜線上に立ったのが10時半過ぎだった。スタートが遅れたため今日の目的地西遠見までは時間的に厳しくなってきた。しかも大雪+強風+視界不良とかなりの悪条件だ。トレースはあっても踏み固められていないためスタート直後にワカンを装着。そのトレースも時折強風で消されている。しかもホワイトアト状態で進路を見失う場面が多々あった。
約2時間かかりようやく小遠見山に到着した。
雪洞構築場所の西遠見山はまだまだ先で視界不良で姿すら拝む事が出来ない。時間は13時近い。
これ以上進み西遠見までたどり着けなかったり雪洞構築できる場所が見つからなかったりした場合のリスクを考え小遠見周辺で雪洞を構築することにした。事前の情報では東面が適地とのことだったがホワイトアウト状態で斜面の確認も出来ないほどだった。やむを得ず風が吹きつけているが斜度的にちょうど良さそうな北面で構築することにした。約2時間半で3人が生活できるスペースを確保した。好天の中のルンルン気分での雪洞構築ではなく日没前までには必ず完成させなくてはという緊張感の中での雪洞構築だった。完成後は少し体を休ませた後夕食をとった。この夜はキムチ鍋だった。いつもならお酒を飲みながら宴会となるのだが少し疲れたのと外の状況がひどいので飲む気になれなかった。大雪警報が発令中の山中は大荒れで時折「ゴ~~~ッ」と唸り声のような風の音が聞こえるが雪洞内はいたって平和だった。しかし高さ1mほどの雪洞の入り口も2時間も経てば雪で半分以上埋まってしまう状態だった。雪のブロックで壁を作っていてもこんな状態だった。夜明けまで2時間おきに起きて出入り口の確保の為雪かきをした。雪洞内では平和な空間なのだが雪かきの為外に出るとそこは大荒れの北アルプス。あっという間に不安な気持ちに逆戻り。そんな事をくり返しながら朝を迎えた。
翌22日は天気は快晴。昨夜のうちに天候不良による予定の遅れと23日はまた天気が崩れ雨の可能性があった事や、車掌の体力的問題を考慮しこの日のうちに下山することにした。6時に起きのんびり朝食の準備に取り掛かる。この日の夕食で使用するはずだった具材を全部使い、豪華なラーメンとなった。食後のコーヒータイムも十分とりパッキングに取り掛かる。往路より食材分の荷物が減っているにもかかわらずいつものことながら帰路はうまくパッキングができない・・・。
雪洞内に忘れ物がない事を確認し雪洞を取り壊す。完全に壊すのは大変なので入口を埋め戻すのみにとどめ付近に注意喚起の為の篠竹を立て終了。
雪洞をあとにし小遠見山頂でしばらく大パノラマを楽しんだ。最後に五竜岳をバックに記念撮影。
このまま下りるのが惜しいくらいの天気だ。しかし良く見ると西遠見山から先はかなり風が強そうで雪煙が上がっていた。アルプス平まで1時間半ほどの下りだったがここでも車掌は遅れてしまった。2人との体力差を痛感させられた。
今回は五竜岳登頂を果たすことはできなかったが、悪天候で訓練ではなく本番のようなシチュエーションの中で雪洞構築を経験することができ、良い経験となった。
また経験の浅い3人で考え相談し行動できたことは今後の山行につながると思う。またそれぞれの山に対する考え方や安全登山に対する考え方など多くの事を話し合えた良い山行だった。