期 日:2017年9月8日(金)~10日(日)
参 加 者:mt_kawani 、他1名
行 程:
9/08:相模原発5:00==相模原IC==中央道==松本IC==8:10安曇野支所駐車場
同所前バス発8:40==9:45上高地10:15⇒明神⇒14:15徳本峠幕営
9/09:徳本峠5:00⇒霞沢岳ピストン⇒14:30徳本峠幕営
9/10:徳本峠6:05⇒岩魚留小屋8:55~9:40⇒14:15島々安曇支所駐車場==入浴
(竜島温泉せせらぎの湯)==中央高速==帰宅
霞沢岳の山容:2008(H20)年3月6日西穂丸山にて撮影したもの・・・
徳本峠小屋:下の水場(黒沢源流部)で水を汲み約30分で到着:かつて上高地
へのメインルートとして拓かれた島々谷。ウォルター・ウェストン、高村光太郎
や芥川龍之介も越えた峠道。その峠に大正十二年から営業小屋として始まった
という。2010年にリニューアルオープンした。昭和8年(1933)釜トンネルが
開通して大正池まで乗り合いバスが入ると徳本峠越えは利用する人が少なくな
った。元々、江戸時代の寛文年間から、島々から徳本峠を越える道は木材の搬出
や炭焼きなどの生活を支えるルートであったという。
徳本峠テンバより穂高の夕景:左奥穂岳、中は明神岳、右の大きい鋭峰が前穂高
岳(今まで見たなかで最高の容姿だ!)
ジャンクションピークの手前で望める箇所がある(スタジオジャンクションと
いうのかな?)(5:42)中央△が前穂・・・JPでは東側が開け、小嵩沢山への尾
根と島々谷南沢が見下ろせる。
JPから15分ほど下った箇所で南側が開け、正面乗鞍岳、左奥御嶽山が…
P5下からようやく見えてきた頂稜部を仰ぐ。右からK1(2580m)、
K2(2620m)、霞沢岳(△2645.6m)、左のピークは南に下がった2514m峰 (P5、P2は立ち木に
赤ペンマークがあったがP1、P3、P4印は確認できなかった)
一旦鞍部に下がって正面の尾根をK1へ直登する。要所に鎖、ロープもあるが急
峻なルンゼ状を必死に登った。
K1に漸く到着、穂高岳最高の眺望を欲いままに・・・手前の尾根先端が六百山
もう山頂に着いた気分に!だが…まだ霞沢山頂はあのK2の未だ先きだ。
K2と霞沢山頂:アップダウンの露岩の尾根をいく…
憧れの霞沢岳の絶巓に立つ!
二等三角点がひっそりと…
※点ノ記を覗いてみる、選定は明治35年5月18日、2014.3.13改算の標高は2
645.77mとあり、地図上では2645.8mと記入になる。
「岐阜縣古城郡上寶村大字中尾ヨリ信濃国南安曇村ニ至ル道路ニ沿ヒ山路ヲ行
ク事十三里半夫レヨリ登ル事一里ニテ本点ニ達ス坂路甚ダ険悪ナリ…(八右衛
門沢からであろうか?)測量不可ナル季節、其の原因として、十一月初旬ヨリ翌
年五月迄ハ降雪ノタメ不可ナリ、測点ヨリ下ルコト一里ノ処ニ浚水アリ・・・」
などとある。
改めて山頂から・・・左に眼を移せば笠ヶ岳も…
「さて、ウエストンはいつ霞沢岳へ登ったのか? 何と大正2年(1913)8月26日
という。徳本峠からではなく、八右衛門沢(帝国ホテル南側)からだとのことで、
夫人同伴、上条嘉門次と清蔵を伴う。初登だったのか?…下山は如何したのだろ
う?現在の徳本峠へのルート?いや、このルート開設は遥か手前の昭和59年
(1984)だから全然違う。 彼の著書「日本アルプス登攀日記」を所持していない
ので分からない。近年、八右衛門沢から登った人も結構いるのだだろうか?
(次の写真の谷から…)なお、小島烏水(日本山岳会創設者の一人)は更に早く
明治35年(1902)夏、沢渡から霞沢を登り霞沢岳の稜線を越えて上高地に入った
記録があるという…驚きだ! 昔の人は凄いの一語!」(二万五千地形図で見る
と、霞沢の源頭はP5下のK1への急峻な登りが始まる最低鞍部になる)
笠ヶ岳:この谷の下が八右衛門沢で上高地の田代橋と上高地温泉清水屋が見え
る。この辺りにウエストン碑がある。中間の尾根は西穂山荘から槍見台、割谷山、
中尾峠~焼岳と続く…
焼岳を望む…
K2側からピダミナルなK1を・・・
徳本峠テンバ(左二人用)6張り程度。ところが、小屋は満員、9日は登頂後連
泊を希望した人や午後登ってきた方が宿泊を断られて下山していった。あれだ
けの晴天であったが、ビールを飲みながら隣のテントの方とおしゃべりしてい
た15時30分ころより急に雨がパラついてその後土砂降り…
一時小康状態を保ったが夜半まで降り続いた。水汲みにいってくれた相棒はび
しょ濡れで戻ってきた。
「徳本峠と霞沢岳の標高差は、2645.6m-2135m=510.6m なれどアップダウンが多
く累計標高差は1885mにもなる(ガイドブックによる)」
10日、夜明けは雲が掛かっていたが出発直前(5:50)に雲が切れた。
徳本峠の展望台(幕場から45秒と案内板がある)からの奥穂高岳は絶景と喧伝
されているが木々が成長したこともあるのだろうか…テンバからと全く変わら
ない。穂高連峰を見納めして、いよいよ島々谷南沢を島々宿までの下山となる。
16KMの道のりである。
島々谷川の源流…直ぐ上部に力水の水場あり(峠から40分ほど下って)
島々谷には数多くの橋があるがこれはいただけなかった!丸太2本、昨夜の雨
で濡れている。高さ3Mはある。荷と疲れた脚ではとても不安!ここで万一?!
悩んだ挙句、下流側の狭い箇所を選び靴を脱いで渡渉した。
渡渉した箇所から…
岩魚留小屋:既に早くから廃屋になっている。手前にかつらの巨木がある。此処
で川や滝をみるなどして40分ほど過ごした。平成14年7月の時は、ここにテ
ントを張り1泊した。収穫した山菜料理を食べながらホタルの乱舞に感動した
記憶が蘇った。
自然林の穏やかな林相もあれど…
激流の滝もある(離岩辺り)
前回歩いた時期は老朽化した桟道で脚を踏み抜いたことがあったけどこのよう
に良く整備されていて安心である。ただ、先の丸太橋だけが気になるところであ
るが…
戻り橋を渡り、行き橋(吊り橋)で渡り返し、秀綱夫人遭難碑から奇怪な樹形-
あがりこサワラを見ると直ぐ二俣に辿り着く。ここから島々谷林道歩きとなっ
て安曇野支所の駐車場へ戻った。
奥のゲート
最初のゲート手前の空き地:島々宿から700mくらい。20台余の駐車スペー
スがある。
先ずは、熊除けの柵を開けて入ることになる。(鍵は掛かっていない)
サラシナショウマに吸蜜する?…フユシャク類の蛾?(冬尺蛾)
ユキササの実…色合いがいい
頂稜線のコケモモ
と…シラタマノキ
※平成14年(2002)7月会山行で霞沢岳を実施したが、体調不良者がありジャ
ンクションピーク手前で中止し島々谷を下山した。それ以来の懸案をようやく
達成できた。
記:mt_kawani